【朗読】若き日の摂津守(せっつのかみ) 山本周五郎 読み手アリア
こんにちは!癒しの朗読屋アリアです。今回は、山本周五郎作「若き日の摂津守」(昭和33年)です。摂津守光辰は幼少のころから知恵づくことがおくれ、からだは健康であったが意力が弱く、いつも涎を流し、人の助けがなければなにひとつできなかった。」十九歳のとき家督を相続して摂津守に任ぜられた。彼の祖父も父も政治には無関心だった。祖父は若い頃から焼き物に凝り、下屋敷に窯を作らせて焼き物を焼いて一生を終わった。父は趣味さえ持たず、二十九歳で家を継いでからずっとまるで隠居のような生活を送っていた。光辰の兄、源三郎光央は二十六歳になっていたが、十五歳のとき精神異常という理由で廃嫡され江戸の下屋敷にこもっていた。国許の藩政は安定し、地勢も極めてよく、五万六千石の表高より実収は二万石は多いだろうといわれていた。領内にことの起こることもないから政治のために藩主をわずらわす必要もない。そして職制は世襲の交代制で、四十年ちかい間、同じ諸家がその席を占めていた。このような中に光辰は二十一歳で国入りをしたのだった。
若き日の摂津守 主な登場人物
摂津守光辰(みつとき)・・・いつも涎をたらし、物事の判断も鈍く自分の意思を表すことができない。十歳で世子に直り、十七歳で松平信濃守の娘を娶った。十九歳で家督を相続し摂津守に任ぜられた。二十一歳で国許入りをし側室を娶る。藩の平穏無事を支えるために犠牲を強いられているものがあること、それが重臣たちの私曲の具に供されていることに気付き、自分のしなければならないことがわかるようになる。
永井民部・・・十四歳の頃から小小姓に上がって、ずっと側近に仕えた。光辰より一つ年下。
源三郎光央(みつなか)・・・十五歳のとき「狂気の質」という理由で廃嫡されるが、実際は非常に頭がよくて早くから藩政に興味を持ち学友や若い近習番の中から頼むにたるという人を選び、藩政の事情をひそかに検討していた。それを当時の側用人栗栖采女に知られ、重臣たちの手によって廃嫡される。
浅利重太夫・・・側用人。光辰を意のままに操る。
おたき(みち)・・・光辰の側室に上がる。吉田屋作兵衛の侍女の替え玉。貧しい農家の娘。
若き日の摂津守 覚え書き
正史(せいし)・・・国家などが編纂した歴史。
意力(いりょく)・・・意思の力、精神力。
暗愚(あんぐ)・・・物事の是非を判断する力がなく愚かなこと。
奇矯(ききょう)・・・言動が普通と違っていること。
廃嫡(はいちゃく)・・・嫡流を継ぐ相続権を廃すること。
沃野(よくや)・・・地味の肥えた平野。
孝子(こうし)・・・親孝行な子。
篤農(とくのう)・・・農業に熱心で研究する人。
佩刀(はかせ)・・・刀を腰におびること。
閨閥(けいばつ)・・・妻の親類を中心に結ばれている勢力。
峻烈(しゅんれつ)・・・非常に厳しく激しいこと。
哀憐(あいれん)・・・悲しみ憐れむこと。
いたわしい・・・気の毒で憐れみをかんじるさま。
杣道(そまみち)・・・杣人しか通らないような細くてけわしい道。
内帑(ないど)・・・君主の所有する財貨。
生得(しょうとく)・・・生まれながらにしてそういう性質を持っていること。
誅求(ちゅうきゅう)・・・租税などを厳しく取り立てること。